塾長ってどんな人?

東京の下町生まれ。

幼少期は浅草近くで育ちましたので、ガサツです。

言葉もちと乱暴。

 

両親ともその家系は茨城出身。

DNA的にはほぼ茨城人といえます。※下へ


子どものころから鉄ちゃん。

 

電車の運転手になりたかったです。

休みの日には、線路脇にいることが多いかもしれません。


写真撮影が趣味です。

 

というより、高校卒業時にはカメラマンの道に進むか本気に悩みました。

 

卒業生が結婚する!

と耳にすると、押しかけカメラマンになってます。

←塾最初の生徒Sちゃんの結婚式での1コマ。


プロフィール

 

中学受験をしております。

※学校担任からの嫌がらせから調査書を願書締切最終日までいただけませんでした。
昭和の時代、これでは合格できません。

大学時代の専攻は日本史(近世)。

大学院修士課程に進学 ※家庭の事情により中途退学

『三河物語』などの資料を基に「武士の生き方」を研究しました。

 

恩師の師匠は、高柳光寿先生と北島正元先生です。

ひさぺーは孫弟子となります笑

 

恩師からは、日本史研究の心構えをみっちりと仕込まれました。

歴史の研究は、史料に書かれている内容のその背後にあること、よく言う「行間を読む」という視点が必要となります。

このことが、今、重きを置いている「国語の読解指導」にとても役立っております。

なぜなら、国語の読解指導も「行間を読む」ことを要求されるからです。

 

生徒さん方にはこうした「もののとらえ方」を伝えられたらと思っております。 


先が見えない混沌とした時代だからこそ・・・

徳川光圀公はこうおっしゃっています。

「人の人たることを学ぶこと、人の道を鍛えるのは『学問』である」


大河ドラマ「青天を衝け」で気づかされたこと・・・

これっておばあさんが言ってたこと??

徳川光圀は御三家の1つ水戸藩主であり、黄門様と親しまれました。

その水戸藩は「水戸学」という独自の思想・学問体系を作りました(光圀公が始めております)。

明治維新に際して非常に大きな影響を与えたことは歴史からも明らかです。

(松下村塾を作った吉田松陰や、近代産業の父と呼ばれる渋沢栄一はじめ、橋本左内、西郷隆盛など)

 

私の母方の曽祖父は水戸藩士(小石川上屋敷詰め)。

曾々祖母は戦国大名佐竹氏(清和源氏)の分家の出。

おばあちゃんっ子だったこともあり、そうした「水戸学の精神」や「サムライジャパン」ではありませんが、ホンモノの「武士道精神」を受け継いでいると自負しております。

 

「水戸学」の思想、根本にあるのは『論語』や「老子」といった古典です。

 

AIの技術が進み、産業革命以上の変革が訪れていると言われております。

そんな時代だからこそ、古くから伝えられている古典から導き出された「精神」が必ず役立つものと考えます。

なぜなら、明治維新で活躍した多くの人物が古典を学び、それらを通じて新しい視点でものごとをとらえ、新しい世の中について考えることができたのだと考えるからです。

 


社会に出てからこそ・・・

母方の祖父は江戸時代から続く接骨院で接骨医をしておりました。

もともと祖父の家系自体、江戸時代に医師であった者もおり、こうしたことから医療関係者が多数おります。
なかには渋沢栄一に見いだされひと財産築き、それをもとに学校を設立した者もおります。


中高一貫校や大学受験の生徒さん方は、社会に出てから否応なしにこうした「階層」(この言葉はあまり好きではありませんが)の人々と仕事をしたり自身がそこに入ったりすることになるでしょう。

そうした際に少しでも役立つような「空気感」のようなものも伝えていければと思っております。


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